前世を知りたいです、とハイヤーセルフに尋ねました。
「なぜ しりたいの?」
妹が何代か前の自分の前世(お坊さん)のことを言っていたので、私のも知りたくなったのです、と答えました。
「いい でしょう。
いつでも みえます。
もし みえないのなら それは ただあなたが みるちから が ないのか それとも みるひつよう が ないと じぶんで おもっているからか その どちらかです。」
するとイメージが来る。
とても明るくて清々しい。
私はきっと、毎回、後悔のない人生を送っているに違いないという気がする。
(あくまでも自分的に後悔がない、という意味だろうか?。。)
「そうですね。 きっとそうでしょう。
あなたのむすこに もっと やさしくしてあげなさい。
かれは あなたのふたんを せおってくれているのだから。」
息子が勝手にそうしている部分もあり、私だけのせいではないです。
「そういう いいかたも できるでしょう。
でも ものごとには ちからかんけい が はたらくのも じじつです。
どうすればいいのか は あなたは わかっているはずです。」
もっと優しくしてあげたらいいのはわかっているけれど、
そう簡単なことではないですよ、と答えました。
「ええ。
それほど かんたんな ことなら
じんせいの かだいには なりえない でしょう。」
マスター・メモ
ふ、深いwww
読み直しながら、あらためて驚いてしまいます。。。。(←でも未だに息子に優しく出来てない人)
高次の存在の声なのか自演なのかの区別はどうしたらいいと思いますか?はっきりした区別は難しいです。なぜなら、高次の存在というのも他人ではなく、自分だからです。
『誰もが深いところで高次の存在とつながっている』『自分自身の中に答えはある』というのがその理由です。
と、それは踏まえた上で、自作自演かどうか??を知るのは簡単です。自分では思ってもいなかったこと、思いつかないことを言ってくれたら、それは自演ではないですよ。
ただし、自分や周囲が不幸になるようなことや、命の危険を伴なうような無茶なことは、高次の存在たちは、絶対に言いませんし、強要してくることはありません。
そういう声に従う必要はないですし、無視するのが一番です。