今日で、ちょうど一週間。
一週間前の今日、レイキの第一ディグリーを受けました。
あの日を迎えるまでの日々を思うと、不思議な気がする。
スピ系のこととは無縁の私が、よくやってみようという気になったなぁ・・・とか、パートナーを、よく説得出来たなぁ・・・とか、彼の方も、納得しないままにも、よく許してくれたなぁ・・・とか。
自分がスピ系ではないことは、ある意味よかったのかもしれないな、とも思う。
スピリチュアルで不思議だから、レイキをやりたかったわけではないのです。
私には家族がいる。
娘は体操をやっているから、しょっちゅう身体が痛い。
息子は精神的に疲れやすく、薬以外の癒しの手段が必要。
私自身、身体のあちこちに湿疹が出るし腰痛がある。
そういう環境で、必要を感じていたので、そんなくらしの味方になってくれるものとして、レイキをできるようになりたかったのです。
そういう地に足のついた使い方が、一番安心だし、常識的なことですよね。
レイキを、ある程度の人生経験を積み、自分の人格もある程度は形成されている、中高年になってから受けたことは、いろいろな意味で、よかったな、と思う。
もちろん、赤ちゃんや小さいお子さんをお持ちのパパママにも、いいと思いますが!!
要は、レイキが先にあって どこか使うところないかな~?という人ではなくて、必要が先にあり、レイキをその解決策のひとつとして、上手に日常に組み込んでいけるだけの知恵と経験が必要なのではないかな、ということでしょうか?
なーんて、若葉マークがえらそうにすみません