2. 娘の・・?? その1

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※今回は自分のための記録です。
書いていることが合っているのかどうか、わからないままに書いています。

–1–

先日、息子が財布入りの鞄を、マンションのロビーに置き忘れてくるという事件があった。

財布はヴィトンのプラで、その中には買ったばかりの半年分の定期、デパートのポイントカード、学生証、銀行のキャッシュカードも入っていたから、出てこない可能性が高かった。

その時に思い出したのだ。
息子が鞄を置き忘れたちょうどその頃に、私は息子の財布のことを考えていたのだった。
唐突に、息子の財布のことがぽっかり頭に浮かんだのだった。

「もしかして、教えてくれたのかな?」
誰にって・・・・ハイヤーセルフに、である。

 

–2–

話は少し遡る。
昔から、「ここぞ!」という時には、自分でも、全く思いも寄らなかった言葉や発想が勝手に口から出てきて、それに助けられてきた。

自分の口からすらすらと出てきている言葉に、「おお・・・すごい・・・そういう考え方もあったか・・・」と、人と一緒に自分も感心してしまう。(笑)
パートナーはそれを「ゆきたんの口から出任せ」と呼ぶが。。

一体’あれ’は、どこからくるんだろう?と、昔から思っていたものだった。

レイキを通じて学ぶうちに、それはハイヤーセルフなのかも?と思っていたのだが。。。

 

 

–3–

そしてそれは、いつも「勝負!」という時にだけ、「私の口を通じて出てくる」と思っていたけれど、今回、息子の財布を思い出させてくれたことを通じて、こういう「ただ頭に浮かぶ」という助けられ方もあるのかな、と、思ったわけだ。。。

息子の鞄は幸いそっくりそのまま出てきたのだが、このことで、私は

「ハイヤーセルフはここぞと言うときに声をかけてくれている」こと、そして、「ハイヤーセルフの言葉に耳を傾ける」という行為、その二つが揃って初めて意味がある、ということを意識するようになった。

 

–4–

今日、授業の始まる前に、ふと頭に浮かんだ。

それは娘が3歳の頃のこと。
幼いのに、いつも言われたことは素直に、すぐに気負わずやるのに感心して褒めると、娘は言った。

「あのねえ。頭の中に先生がいてね。その人が’やりなさい’っていうから、はーいってやるんだよ♪」と。

忘れられないエピソードだが、それを聞いた時には私は、単に「良心」を子供らしく擬人化しているのだろうと思っていた。

 

–5–

あれから11年。娘は相変わらず、おっとりとして気負わずに、物事を素直にやる。ほんわかしているのに、いざというときの行動は迅速で確実だ。
しかし、それに感心して褒めても、あまりピンと来ないという顔をする。

私だったら、一生懸命考えてやったことや、やりたくないのに自分を励まして頑張ってやりとげたことがあったら、褒めて欲しいし、褒められたらうれしいと思う。それなのに、もっと喜んでもいいのに、穏やかにほほえんで、「ただ言われたことをしただけなのになぁ」という顔でこっちを見る娘。
いや、お母さんは何も言ってないよけど?(笑)

 

–6–

もう一度、息子の財布騒動を思い出してみる。
(息子が忘れ物をした時間帯、あのとき私の頭にはその財布がぽっかりと浮かんだ・・・。
でも私は行動しなかった。頭に浮かんだことすら、その時には気にもとめなかった。)

3歳の娘に言われたことがよみがえった。
「いつも頭の中の先生が、こうしなさいって教えてくれるんだよ♪」

どうしようかなと思った時に出てきてアドバイスしてくれる存在・・・
彼女は、その声に素直に従い、行動しているだけだという。
ああ だから、褒められてもさほどうれしそうでもなく自然体なわけだ・・・

私は雷に打たれたように動きが止まってしまった。
今まで、考えたこともなかった ある考えに思い至ってしまったのだ。

「え、ちょっと待って。もしかしてそれって、娘のハイヤーセルフなんでは・・・?
あの子は、ハイヤーセルフと話をしていたのでは・・・・?」

2. 鐘の音♪

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少し長くなりますが、
私のハイヤーセルフのことかもしれないので、メモ代わりに残しておきます。

 

今日は、ちょっと気の重い日だった。

市のコミュニティの会合で、5~6年前うちのサイトとは物別れした、あるNPO団体の代表者と同席することになっていたのだ。

そのNPO立ち上げの時に、ネット関連のアドバイザーのようなことを、ボランティアで私とパートナーがしていたのだが、当時私は、めまいで通院中。娘は幼稚園、息子は中学受験を控え、公私ともに余裕のない時期で、日に日に、そのNPOと続ける時間も気力もなくなっていった。

子持ちの女性の一生はマラソンのようなものである。
今から思えば、そうやって守りに入るのも仕方のない時期だったように思うのだが、その頃は、プライベートな事情でボランティアを抜けるのは理由にならないと思っていたので、彼らには詳しい事情を話すこともなく、物別れしてしまったのだった。

 

その後、何度か街で偶然彼らに会うこともあったのだが、挨拶してもそっけなくされるので、やはり気分を害しておられるのかな・・と思っていた。

でも今回、偶然にも同じ会合で顔を合わせることがわかった時、当時の事も振り返り、今後はまた新しい気持ちでどうぞよろしく、と挨拶をしたい気持ちもあった。

というか、挨拶したいがために、今日の会合への参加を決めた、という面も実はあった。
ただ、その自分の判断が、正しいのか間違っているのか、自信が無くて、それで気が重かったのだ。

行ってよいのかどうなのか、・・・
単に私の自己満足のためでしかないのかもしれないし・・・
彼らにとってはかえって放っておいて欲しいのではないのか・・・?
気の重いまま、支度を始める11:00に目覚ましをかけて、1時間ほど仮眠した。

 

仮眠して、何か夢を見ていた。
夢の途中で、急にハッキリした音で「カーーーン!!」と、澄んだ鐘の音が響いて、パッと目が覚めた。

すぐ耳元で聞こえたけれど、もちろん他のひとには聞こえていない。
時計を見ると、10:55。目覚ましの鳴るキッカリ5分前である。

この起こし方・・・私は良く知っている、、、と思った。
思い出した。
昔、よく、こうやって起こしてもらっていたかもしれない・・・

独身時代、ヘロヘロに疲れ仕事から帰って、お風呂が沸くまでのつもりで、居間で久米さんのニュースステーションを見ながらソファで眠りこけてしまった時。

居間の窓ガラスを表から「トントン!トントン!」と叩いて誰かが起こしてくれたことを思い出したのだ。
一度や二度ではない。確かに誰かが起こしてくれていたのだけれど、でも誰だろう?なんだろう?と、当時、不思議に思っていたものだ。
だって、実家の居間は二階にあるのである・・・・

 

でもその「不思議」も、ハイヤーセルフの仕業なら?と思うと、説明がつく。
というか、娘のことなどと照らし合わせ、これは私のハイヤーセルフに違いない、と思った。

しかも、「キッカリ5分前」に起こしてくれたっていうことは、これは、「今日はGO!」っていう意味に違いない、と私は思って、すっきりとした気持ちで会合に出かけることができたのだ。

それでも自転車で市役所までこぐうちに、ちょっと不安になる・・・
すると、通りかかった床屋さんの名前が、偶然、そのNPOの代表の人の名字なのだ。

(やっぱり応援してくれている・・行ってGOなんだ・・)と思う。
誰がって・・・やはり、ハイヤーセルフしかいないだろうと思う。

会場の入り口で偶然仲間のメンバー達と合流できる。
会合のあとは、例の人にきちんと挨拶が出来た。

しかも、その人の方から私に寄ってきて話しかけてくれた。
5~6年来のしこりが、取り除けたかと思う。
やっぱり今日は、思い切って行って良かった!!!

帰りの自転車をこぎながら、私はいつもにも増して、宇宙につながっている感覚を味わっていた。
・・・私にもハイヤーセルフがいる・・・私を助けてくれている・・・
もうその存在は確かなものとして感じられる。
確かにそうなのだという感覚が、私に芽生えたのだ。

2. 「イトウ」さん その1

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先日、娘が幼い頃からハイヤーセルフと交信していたらしいということがわかり、家族一同、おののいたり(笑)、あの子の昔からのあの落ち着きぶりからすると、やはりそういうことがあってもおかしくはない、むしろ腑に落ちる・・・と感心したり。

しかしそれ以降も、どうも気になる凡人の母。
中間テストの勉強の小休止に、娘にまた、尋ねてみた。

「今日はハイヤーセルフと話した?」

「したよー」

「何をお話したの?」

「単語テストの答、教えてもらった。でも、間違ってた。」

「???」

詳細はこうである。

今日の単語テストで、どうしても一問わからないのがあって、音すら思い出せない。
すると、またいつものようにボワボワボワ~~~と浮かんできたから、
それを書いたのだが、間違っていた、というのである。

「’奇妙な’=strangeなのに、strangerて浮かんできた」と娘は言う。

うわ(笑)惜しかったね。
でも、しょうがないのである。だいたいテストは自力でするものだ。

が、それはそれとして、そもそも娘のハイヤーセルフは、英語を間違ってもおかしくない。
なぜならその人は、日本人らしいのだ。

なぜそう思うのかというと・・・・
・・・話は、この少し前にさかのぼる。

その時も、勉強小休止中の娘に、私とパートナーは、あることを尋ねていたのだった。

 

 

私は娘に尋ねた。
「ね。ハイヤーセルフに名前聞いてみたら?」
聞いておいてなんですが、当然何の期待もしていなかった。

ところが、なのである。
娘は一瞬目を閉じたと思ったら、すぐに目を開けた。
そして答えた。
「イトウタダカツ!」

「???」

なんで答えるの?つか、なんでわかるの!?
そもそも、そういう冗談を言う子ではない。

「え・・・じゃあ、トシは?」

すると、またしても瞬時に、目を閉じたと思ったらすぐに開けて、

「33歳!」

「・・・なんでわかるの・・・」

「なんでわかるのかはわからない。浮かんでくるの」

「えええ?じゃあ、何年うまれ?」

落ちついてしかし瞬時に娘は答える。
「1963年!」

(うわー。私より下かい・・・・)←あ~トシ、バレるし(笑)

まさか答えるとは思ってもいなかったので、すごく驚いた私。

「1963年、昭和38年生まれで今33歳のわけないから、亡くなった時の年齢なのかな?

それともなんなんだろう??そもそもハイヤーセルフに名前があっていいの?

ままさか、キツネでは!!(謎)

それとも、本当のことを言うつもりはなくて、単にデマカセ??」

などと、無知な凡人の愚問が湧いてきた。

それが娘を不安がらせてしまったらしい。

「あれ・・じゃあ、わたし、本当は、お話してないのかな・・・?」なんてつぶやかせてしまった。

いや、そういうつもりで言ったんじゃないよ。
う~わたしが悪いです。
もう、あまり興味本位に根掘り葉掘りは尋ねないようにしよう。。。。。

とにかく、娘が幼い頃から彼女とともにいてくれた、メガネをかけて、スーツを着てきちんとした感じの、30歳くらいの先生っぽい男性は、1963年生まれのイトウタダカツさん(33歳)ということが、わかったのだった。

それ以来、私もパートナーも、昔の娘のエピソードで、どうしてもわからなかったことも、「あ~じゃああれはイトウさんが・・・」と納得して話すことが、よくある・・・・

 

 

2. 「イトウ」さん その2

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娘のことを話さなくてはいけない。
うちでは、娘は「むかしのひと」だ、というのが定説(笑)である。

娘は小さい頃から、地味で落ち着いた子で、無駄なことは言わず、出過ぎたことは行わず、前世では、口減らしにお屋敷に奉公に出されたことがあるんじゃないのかと、私はずっと思っていた。

語る言葉以上に、本当にこれが子供なの?と思うような迫力(?)を感じることがよくある。

最近では、「”これのためなら一食抜ける!”というのを教えて下さい」という質問には、普通「Dグレのコミック全巻買うためなら」とか「服買うためなら」とか答えるのと思うのだが、「生きるためなら。だって、死んだら困るでしょう?(笑)」とすんなり笑顔で答えた。

凡人の私は一瞬笑ってしまうが、でも直後に、背筋が寒くなるほど、説得力のある言葉だと気がつく。

小4の頃 学校で、「一番好きなことわざは?」に対しては、「不幸中の幸い」とサラッと答えた。

あどけない顔で彼女が言うと、私たちの胸に浮かぶのは、空襲警報の中、焼夷弾を間一髪で避けて生き延びる姿とかである。

確かに「不幸中の幸い」これ以上に良いことなんてこの世にあるだろうか?

大仏やお坊さんが好き。
おじいさんおばあさんも大好きなのだが、いわゆる「年長者を敬い慕う」とか「おばあちゃん~大好き~~」という「好き」ではない・・・

「あのおじいさん、とってもかわいかった。。。」とか、まるで自分の方がはるかに年上で、後から生まれた者を慈しむかのようにしみじみと言う。

知らないおばあさんが、この子を見ていきなり涙を流してお菓子をくれる、とかは普通によくあった。

また、亡くなった祖母も、まだ1歳の娘(ひ孫にあたります)を見ては、しみじみと言っていた。
「この子は、どこか不思議なところのある子だよ・・・」と。

食べ物の好みとか、物事の考え方とか、とっさの判断や行動とか、あの安定した精神とかが、実年齢に似つかわしくない。

それらは全て、彼女が単独で「むかしのひと」だからだと思っていた。
が、その影にはいつも、イトウさんがいたのだとすると、

彼女は幼い頃からイトウさんと話をしながら、色々なことをしていた。
それなら全てが非常にすっきりと納得がいく。
ああー、だからなのかーー・・・と、すんなり受け入れる私とパートナーだった。

 

うちのパートナーに言わせると、娘のハイヤーセルフのイトウさんは、娘に対してかなりの甘やかし屋である。

確かに。
だって、わからないことはもちろんだが、テストの答まで教えてくれるのだから。

思い起こせば2年前。中学入試の作文。
テーマは「あなたにとって、美しいと思うものは何ですか。」

あなたなら、なんて書くだろうか・・・?
すごく難しいテーマだと思うのだが、娘は試験で何と書いたのか?
それを聞いて、家族一同仰天したのを覚えている。

「な、な、なんて書いたの?」
「うん。こう書いたよ。
『私にとって美しいと思うもの、それは’暮らし’です』」

そう、書いたというのだ。
現代日本の、ふつ~の暮らしをしている小学6年生が、日々の平凡な’暮らし’をこそ、美しいと・・・・!!!

あのときの衝撃は忘れない・・・・
しかし、今になって思えば、どうやらそれもイトウさんに教わったらしい。
彼女は昔から、わからないことは全てハイヤーセルフにきけ、なのである。

がしかし。
いかなイトウさんでも、単語のテストでは、ちょっと間違ったりもしてる

「でもそれはしょうがないよね。だって彼は日本人なんだから。」と、私もパートナーも、密かに納得するのである。

イトウさん、いつも娘を守ってくださってありがとう。
これからも、どうぞよろしくお願いします。

おまけ

※私の(余計な)想像(=妄想 ともいう・・・)の中では、
イトウさんは、Dグレのコムイ・リーっぽい。。。。(特にあの甘やかし~の所が。。。)

 

「strangeとstranger・・・形容詞と名詞、ちょぉ~っと違くないかなぁあ~!?」
母(=私=英語教師)に詰問されるイトウさんの図。。。。。

 

 

ハイヤーセルフとの交流

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レベル3の講義で、「ハイヤーセルフとの交流」があるらしいとのことで、すごく楽しみにしていました。

でも、本当に交流なんて出来るのでしょうか?期待半分、畏れ半分。
まずはテキストを見ながら先生の解説を聞く。そしてすぐ実習。テキスト順にやっていきます。

先生「シンボル、もう一回練習しなくても大丈夫ですか?」
私「大丈夫です」

シンボルはスイスイ。
ああ~~よかった。ちゃんと出来た。
日頃から使い慣れておいて良かったな~。急にはできないよね~~なんて考えてたら

「??」
胸に当てている右手が・・・・・さっきまでの感触と違う・・・

丸くて柔らかい何かが、右手を押し返してくる。これ、自分の胸じゃない・・・・
「ま、まさか・・・??」(いやまさかだよね~~)

でもとにかく、習ったとおりに、いくつかのポイントを第三者の目で観察する。
すると、女性の声が・・・・

こどもをたいせつに

「・・は?」

(今度はもっとはっきりと)

こどもをたいせつに

(・・・・。
これって、私自身が、子供たちに対してあまり面倒をみていないっていう
後ろめたい気持ちがあるから聞こえるんだよね・・?)

先生「左右の手の役割を交換して、もう一度、様々な感覚に意識を傾けてみてください」

そこで、今度は左手を胸に当てる・・・・普通に自分の胸だ。

先生「反応や変化のあった方の手をもう一度ハートのチャクラに当ててみてください」

再び右手を当てる・・・・うわー やっぱりこれって自分ではない。
この温かくて柔らかくて向こうから押してくるものは何なの。

先生「何か質問があれば質問をしてみてもいいですよ」

そこで私は尋ねてみた。
「ハイヤーセルフさん、こんにちは。もしいらっしゃるのなら、お顔を見せてくれませんか?
声を聴かせてくれるとか、姿を見せるとか、そうじゃないと、いるのかいないのか、よくわかりません。」

するとハートのあたりが痛くなる。怒ったのかも!!
「ぐ・・・ご、ごめんなさい!もう聞きません。私が悪うございました。すみませんでした」
必死で謝ってみる。

すると痛みが去る。
(やっぱりそうだよね~。顔見せるなんてこと、できるわけないもんね)
と思っていると、またメッセージが。。。。。。

こどもをみなさい。」

(え?なんですって?)

そのなかにわたしはいる。」

(一瞬、何のことだろうと思いました)

あいたければ、こどものかおをしっかりとみなさい

ききたければ、こどものこえをしっかりとききなさい

わたしはいつでもそこにいる。」

すごいことを言われたと思いました。
顔を見せてと頼んだら、子供を見ろと。その中に私はいつもいるから、と。
それは本当にそうだと思う!!!

交流が終わった後、先生は、特に言いたくなければ言わなくてもいい、と仰いましたが、あまりに不思議すぎて、お話しました。先生はただ静かに聞いてくださいました。